先日、湯涌温泉に行ってきました。というのも、私、非常に重たい肩凝りでして、過去にカイロプラクティックに行った際には施術士さんに「硬すぎて、私の力ではこれ以上は無理です...。鉄板でも入れているんですか…?」と言われてしまうくらいゴチゴチです。「いやぁ、ほんとスミマセン...。」なんて苦笑いする私の表情もゴチゴチだったのを思い出します。肩を回したら「ゴリッ」と、謎の音が鳴ります。そんなこんなで、肩に血流を流すためにも湯涌温泉で湯治と決め込んだのです。湯治と言えば、まるで昔の文化人の様でもあります。丸い伊 達メガネでインテリを気取り、竹久夢二に想いを馳せ馳せやって来ました湯涌温泉。悠長に煙草をふかしつつ、ふと総湯の入口にある看板に目がとまりました。(画像を参照)『718年に紙漉き職人が泉で1羽の白鷺が身を浸しているのを見て近づいてみると、湯が涌き出ているのを発見した。これが当温泉の発見および当温泉名の由来とされている。』ふむふむ、718年とはこれまた随分と由緒正しいことで。ちょっと調べてみたら、かの大歌人、大伴家持さんの誕生年だとか。その2年後、720年は『日本書紀』が完成した年だとか。ひええ…。そんな悠久の時を想いながら、ふと思う。こういう歴史を後世まで残そうとした先人の思いや、その先人のメッセージを受け取ろうと努力した後世の人達の情熱ってすごいナァ。...とまぁ、ここまでつらつらと書いてきましたが、結局何を思ったのかと申しますと、やっぱり古文(国語)って必要だよなってことに帰結します。言葉は時代によって移り変 わります。でも、言葉って結局は自分のキモチを伝えるためのツールでしかなくて、"人間の本質"なんていうご大層なモノがたかだか1000年やそこらで変わるとも思えない。私達は、誰かと面と向かって話をする時、誰かに自分のキモチを伝えようとする時、相手にそれらを伝えるためにツールを自在に変形させることができます(敬語とかいい例ですね)。でも、相手が文章だった場合、当たり前ですが、相手はそれが出来ない訳で。それでも、相手に伝えたいキモチがある訳で。だったら、こちらが歩み寄ることが必要になってきます。それが、古文であり、もっと広く言えば国語という教科の本質なんだろうなって考えるに至ったわけです。 相手の言いたいことにそっと寄り添うための手段の一つが、読解法や単語、文法なんでしょうね。そんなことを伝えられるような授業がいつの日かできるようになることを夢見つつ、日々精進したいと思います。志向館 国語科 原 琢磨
2016年11月30日水曜日
湯けむり浪漫
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